貴重な場

私は父から受けていた性的虐待について、なかなか人に言えませんでした。

 

言った方が楽になると教えてもらいながらも私は人に言うことが出来ず、長い間一人で苦しんでいました。

言えないことにより自分の中にある負の思いが発酵して爆発しそうでした。その状態が酷いアトピーや原因不明の不調という形で出ていたのかもと思います。

でも言うことによって風穴が開きました。爆発寸前まで膨らんでいたけど、話すことによってスーッと楽になりました。

 

私が記憶回復当時自助グループを探していた時はまだ法改正の話題も持ち上がる前で、グループ数も多くなく、ネットに情報があっても活動されていない会もありました。

 

私は多くの会に行ってきた訳では無いですが、いくつか参加した中で今も継続して通っている会があります。それが京都で開催されている毒虫に刺された人の会です。

 

性的虐待だけに関わらず、親や兄弟などに傷つけられ生きづらい思いをしてる人が集まり、元気になり立ち上がるための話し合いをしています。この場をバックアップしてくれているのは私がお世話になっているツバキ先生です。

 

参加してまだ間もなかった時、私は父からされたことを泣きながら話しました。これを言ったらどう思われるんだろう、ひかれるんじゃないかと不安でした。

何より自分の口で体験を語ることは見ないようにしていた事実と向き合うことなのでほんとに辛い時間でした。

 

でも最初の一歩を踏み出すことによってちょっと楽になり、少しずつ言うことが平気になってきました。

薄皮をめくるように少しずつ少しずつ、そうやって癒されて来たように思います。

 

先日の会ではこんなことされてたと話した時も笑顔でした。聞いていたメンバーが私もそんなのあった!とみんなで盛り上がったり、みんな軽やかでした。

越えれたら笑えるようになる。こんな風に元気になれたことが有難いです。

父から受けた洗脳

私は性的虐待を受けていた事を思い出した時、こんな体験をしたこと人に知られたくないから死ぬまで黙っていようと思っていました。

自分が汚れてしまった思いや、恥ずかしいという気持ちもありました。

 

そんな私にツバキ先生はあなたが恥ずかしがる必要は何もない、恥ずかしいのは娘にそんなことしたあっちだから。と言ってくれました。

 

父はわいせつ行為をはたらく時必ず、お前が悪い子だからこんな恥ずかしいことをされるのだと言っていました。

 

幼稚園の私はわたしのせいなんだから黙っていなきゃいけないと思っていたし、これは恥ずかしいことだから人に言えないのだと思い込んでいました。

 

今思うと父から受ける虐待は常に洗脳とセットだったなと思います。脳科学も心理学にも長けた医者である父の洗脳は巧妙で、抜けるのには長い時間がかかりました。

 

父は人と競い、人を蹴落とすことを厭わない、むしろ生き残りのために積極的にすべきだと教えました。

こうした間違った見方に染まりまくった私の思考の汚れを落とし、きれいに漂白し、新しく穏やかで平和的な考え方に染め直してくれたのも先生です。

 

物の見方が否定的、攻撃的だった頃は本当に意地悪で嫌な人だったなと過去の自分を振り返ります。

今は競走し人蹴落とさなくても生きれるのだと知り、無意識に人と比べ勝ち残ろうしていた生き方から、穏やかで感謝を持てる生き方に変わりました。

 

三つ子の魂百までといいますが、幼少期からしっかりと刷り込まれた間違った考えを洗い流しポジティブに変えることは普通難しいと思うのです。

でもそこを変えてもらえたことで随分と生きやすくなり、不調だらけだった私は元気になりました。本当に有難いです。

父から受けた卑劣な虐待

昔は書けなかったことも、だんだんとブログに書けるようになってきました。

慣れるのか、それとも強くなったのか?今回は私がPTSDで苦しかったときのことを書きます。

 

私は父から肉体的暴力や、暴言、コントロールだけでなく性的虐待も受けていました。

最後に書いた性的虐待。これが一番根深い傷を残していると思います。

 

なぜかというと私は性的虐待を受けていた記憶を無くしていたからです。思い出したのは5年前でした。

 

身体は本当によく出来ていて、覚えていることで生きていけないくらい辛い出来事は記憶に蓋をし、それに関連する記憶だけが思い出せなくなるそうです。

 

自分にそれが起きていると知った時、嘘でしょ?そんなドラマみたいな話自分に起こる⁈と信じられない思いでした。

 

よくフラッシュバックと聞くけどまさにそんな感じでした。記憶が洪水のように溢れて襲ってきました。

 

幼稚園年長さんの頃、性的虐待が始まりました。母がお風呂に入ったのを見計らい父は私が一人で寝ているに部屋にそーっと入ってきました。

 

初めて性的虐待を受けたその日の出来事を私はフラッシュバックで追体験しました。

私はその時寝ていた毛布の柄や色、父がドアをカチャと開ける音、布団に入ってきた生温かさや、臭い息、そして触られた気持ち悪さや、その時されたことの痛み、全てを五感で感じました。

 

一度思い出したらその後も性的虐待に関する辛い記憶かむくむくと湧き上がるように出てくるようになりました。

 

夜は眠れないし、ご飯も食べれないし、夏場でも頭からすっぽり布団をかぶって震えていました。

ふと気づくと同じ状態のまま何時間も経っていました。今思えば乖離のような症状が出ていたのだと思います。

 

PTSDの専門と言われる有名な先生に診ていただいていましたが、それでもなかな良くなりませんでした。

 

昼間でもカーテンを閉め切って真っ暗な中でじーっと動くことも出来ず、外出も出来ません。あの時は本当に辛くて、もうこのまま笑うことは無いのかもしれないとさえ思いました。

 

そんな時私が元気になるよう気持ちのこなし方教えてくれたり、身体に出る不調の改善方法を教えてくれたり、サポートしてくださったのはツバキ先生でした。

 

先生がいらっしゃらなかったら私は社会復帰は出来なかったと思います。それどころかあのままだったら精神病院に入ってただろうなと容易く想像出来ます。

冷静にあの頃を振り返るとよく戻って来れたなと有難い気持ちでいっぱいになります。

 

このブログを書く理由

このブログを始めたのは記憶喪失や原因不明の心身の不調を乗り越えて、今働けるまでに元気になっている私のありのままを書きたいと思ったからです。

 

ここまでに何度も書いていますが私は五次元スクールのツバキ先生に出会えたからこうして元気になれました。

 

先日、今親からの受けた性的虐待と向き合いしんどい時期を過ごしている人に私が苦しかった時のこと、先生に教えてもらい元気になってきた道のりを話しました。

話していて改めて酷い環境から脱出する道筋をつけ、今もサポートしてくださってる先生への感謝で胸がいっぱいになりました。

 

以前私が育った家庭環境の話、父からされていたことを話した時、人から「よく生きてこられましたね。生きていてくれて良かった。」と言われたことがあります。

 

私には日常になっていた武器に囲まれて生きる生活、外からは仲の良い幸せな家庭に見えるように仕組まれた巧妙な虐待はやっぱり普通では無かったのだとわかりました。

 

私が受けてきた(受けている)虐待を無かったことにしたくない思いと、あんな経験をしても元気になれるということを伝えたいです。

 

そして自分の命を削ってまであんな特殊で劣悪な環境から救い出し、病んでいた私をサポートしてくださってる先生のことを書きたいです。

 

身体に出ていた症状が消えたことも信じられないような奇跡ですが、私は先生に心理面でも大きなヒーリングをしていただいてます。

 

私なら打たれ弱くて、諦めるの早くて、ひねくれてて、頑固で、傲慢な人なんて相手にしたくない。(←過去の私です。)

 

それを先生はあんな虐待にあってきたから今は仕方ないと大きな視点と優しさで見て、匙を投げずに何度も形を変えて、言葉を届けてくれました。

生きる気力を無くした私に諦めるなと何度も強いメッセージを届けてくれました。こうしてブログを書いていても涙が出てきます。

先生のお力がなければ私はもうこの世に居なかったと思います。

 

自分の時間を犠牲にしてまで人をヒーリングすることが出来る人なんてこの世に何人いるのだろう?数少ないそんな方に出会えたことが本当に有難いです。

奇跡的な治癒 【謎の腫れ】

アトピー二度目の悪化の時、ガングリオンのような腫れが身体のリンパ節にボコボコと出来ました。エコー検査を受けても原因はわからず、医師からも対処法はないと言われました。

 

あまり気にしないようにしていましたが次第に腫れは大きくなり、数も増えていきました。

酷いものはピンポン玉の何倍もの大きさに腫れ、個数も鼠蹊部リンパや脇の下など総数は20個を越えました。

 

さすがに不安に思いお世話になっているツバキ先生に相談したところ、先生は今は嫌な感じはしないから見守っても大丈夫、ネガティブな気持ちで悪いものに変わったりするから注意することと教えてくれ、気持ちの向け方や腫れの具体的なケアの仕方を教えてくれました。

 

医師から教えてもらえない対処法を知れることがどれだけありがたいか。一人で不安になってどんどんネガティブに沈み込んでいくのが止まりました。

時間はかかりましたが、今その腫れは一つも無くなりました。先生に気持ちの持ち方を教えてもらっていたので悪い物に変化することもなく切ってもないのに跡形もなく消えました。

 

その腫れは結局何だったのかわかりません。きっと毒出しとかエネルギー的な問題だったのだろうと思います。

ご相談した時先生が「切ってスパッと治すことも出来るかもしれないけど、溶かすこともできる」と仰ったのが印象的でした。

 

盲腸の時もそうでしたが私は身体にメスを入れたくないという気持ちがとても強かったので切らずに治ったことが心底嬉しかったです。

 

本当に先生の優しい気持ちやエネルギーで溶かしてもらったのだなと思います。

心無い父の行動

私のアトピーが酷かった時のことを患者の症例として本に載せた心無い父。その後も心無い行動は続きます。

 

私は結婚してからも大きなアトピーの悪化に襲われました。人生で経験する2度目の山場でした。

 

この時の悪化は1度目よりも大変でした。

前回は37度台の微熱でしたが、この時は38度後半の熱が頻繁に出ていました。

3日続いてちょっと間下がってまた高熱が続くみたいな状態が1ヶ月近く続きました。

 

病院に行っても原因不明で医師もお手上げ状態でした。またしても体重は減少しました。

私は座っている体力もなくて、ずっとベッドに横たわって過ごしていました。30代になりたての若さで一日をほぼベッドの上で過ごす日々。

家事をする体力もない、食欲もない。お風呂に入るだけで息切れし、生きているのが地獄のようでした。

 

何とか改善したいと病院に通いました。1度病院に行くと多額のお金がかかります。少しでも状態が改善するよう鍼治療や整体も併用していたためかなり家計を圧迫していました。

 

次第に病院にかかることが難しくなりました。

父に安心して治療に専念出来るよう、せめて医療費を出して欲しいと頼みましたが無視されました。

 

あれだけ何かあったら力になるからと言ってたのに嘘でしょ?!ショックで固まりました。

子供の頃から俺がついてるから心配するな、俺はそれなりに金持ってるから困ったら相談に乗るから言え、ずっと言われていました。

 

父と母が離婚する時も、お前達の親である事には変わらないから何かあったらいつでも相談するようにと言われました。

 

会っていないからアトピーの深刻さが分からないからかもしれないと悪化している写真を送りました。正直人には見せられないほど酷い状態の写真です。

 

医者でなくても深刻さがわかるし、普通親なら娘がこの状態で苦しんでると考えたら絶対に放っておけないと思うような写真です。

それでも父は一円たりとも医療費を出すことはありませんでした。

 

人としての心を持ちあわせてないのだとわかりました。じゃないとこんな心無い行動は取れません。

父は今も現役で医者をしています。娘を見殺しにするような人が医者として人の命を救っていますという顔をして白衣を着ていることが信じられません。

娘を売った父

アトピーが酷かった私を父は親として心配してはおらず、数ある患者の一人としか見ていなかったようです。それは父が出版した本に私の症例について酷い書き方をしたことでわかりました。

 

普通親なら自分の娘がアトピーでボロボロの肌だったことなんて隠しておいてあげたいと思うはずです。

ましてやその時はもうアトピーと分からないくらいに良くなっていたら尚更。ですが父にはそんな気さらさら無かったようです。

「お前には飯の種になってもらうから。(本の売上で稼がせてもらうから)」そう言って私のアトピーが酷かった時のことを本に書きました。

 

その本が出版されたのは2008年でした。名字だけは仮名にされていましたが下の名前は本名がそのまま使われていました。

父が自身の症例を仮名 [田村豊] と書き、私の症例を [田村陽子] と書いたので親子ということはバレバレ、仮名の意味はなくすぐに私の事だと特定されました。

 

そこには酷い炎症で顔が腫れ上がったり、乾燥で白く粉をふいていて、13日の金曜日に出てくるジェイソンみたいだったとイラスト付きで書かれていました。

そんな風に思われていたんだというショックとその事実が出版物として公に発信されたショックで私は深く傷つきました。

 

よく自分の娘をそんな風にかけるなと、本当に心が無い人だなと思います。あれから10年が経ちますが今もジェイソンの写真を見る度、悲しさと父への怒りが込み上げてきます。

 

当時私は結婚直前でした。夫となる人にそんな時期があったと知られたことが悲しくて苦しくて居た堪れない気持ちでした。

本屋のコーナーで見かける度この本が全てこの世から消えて誰の目にも触れなければ良いのにと願いました。

父はそんな私の気も知らず大型書店○ュンク堂に平積みで置いてもらったなど嬉しそうでした。

 

本には父が産業医として働く先の患者さんのことや父が作った会社の社員のことなど事細かに書かれ、守秘義務違反で訴えられるのでは?とこっちが気を揉むほどでした。

 

問題にならなかったのは誰も読んでないからか、私を含めみんな逆らうのが怖くて言えなかったからだろうと思います。