叶わなくて良かった願い
離婚について先に書いたけど、 今回は私が結婚した時のことを書きます。私が結婚したことは奇跡とも言えることでした。
私は父から虐待されてたせいで男の人が怖くあまり得意ではありませんでした。付き合った経験も多くありません。
そんな私がどうしても結婚したかったのは家から出て幸せな家庭を作りたかったから。
自分が育ったギクシャクして息苦しい家とは違う、安全で温かくて笑顔が耐えない幸せな家庭を作りたいと願い結婚しました。
理想の家族を思い浮かべ結婚した私はすぐに子供が欲しいと思っていました。 でも出来ませんでした。
私は父から受けていた性的虐待のせいで婦人科系に問題を抱えていました。 生理不順などの不調で通院するも結局妊娠は叶いませんでした。
子供を持ちたいと焦る私に先生はまだ準備が出来てないから子供が出来ないよう宇宙が止めてくれてると教えてくれました。
あの時自分が父との問題も解消出来ないまま、子供を出産していたら、 私は虐待の連鎖をしてしまっていたかもしれません。
前にも少し触れましたが、私は結婚後大きく体調を崩し働くことはおろか普通の日常生活を送れないような時期がありました。
自分の面倒も見れない私に子供がいても、 私には育てられなかっただろうし、 子供に寂しい思いをさせたり、ひどい接し方をして傷つけてしまっていただろうと思います。
あの時は子供が出来ないことを悲しんでいたけど、今思えばあの時子供が出来なくて本当に良かったと思えます。
幸せな離婚
やって良かったもう一つのこと、それが離婚です。離婚には結婚の倍以上のエネルギーがいると聞いたことがあります。
お互いが別れたいという合意がなければ調停などで争う必要があるし、財産や家財をどうするかなど金銭的な問題も出てきます。
そもそもお互いが思いやりを持てない状態での話し合いなんだから、意固地になったり足の引っ張り合いをしたり、結婚よりはるかにエネルギーがいることは容易く想像できます。
そんな中私達はスムーズに結婚関係の清算が出来ました。それは先生が事前にこのままだと歩く道が別れるよと一年近く前から教えてくれていたからです。
きっと椿先生には離婚になることが見えていたし、その方が二人のためになると気づいてらっしゃったと思うけど、私が別れたくないと望んだから先生は離婚を回避するためにするべきことを教えてくれました。
私は具体的に教わった方法を一つずつこなしました。やりきったから後悔なくスパッと気持ちを切り替え別れることが出来ました。
しんどい時期もあったけど、最後は揉めることなくお互いに感謝の気持ちを持って離れることが出来ました。
終わりよければ全てよしという言葉がありますが、お互い納得し、ありがとうお元気でという気持ちで別れられるのってお金には換算できない幸せだと思います。
これも椿先生のおかげで叶った幸せです。
奇跡的な治癒 【盲腸】②
前回の続き
看護師さんに手術を受けたくないと言った時、 データを見てもここまで悪化したケースは手術しかないと言われました。
切りたくないという私の意思は聞き入れられず、とにかく医師が来たらすぐに手術出来るようにとどんどん手術準備が進みました。そのくらい緊急度が高かったのだろうと思います。
実はお電話セッションを受ける前、私の主治医は違う人でした。 深夜に入院した私のベッドには主治医〇〇と名前が書かれていました。
ですが朝になってもその先生が来ません。 いつもならもう来てる頃なんですがと看護師さんも不思議そう。
来たらすぐ始められるようにと準備を進めても来ず、もう待っていられないからと主治医が変わることになりました。
新しい主治医にも切るべきだと言われたし、点滴が必要だから退院させられないと言われたけど、何度も希望を伝え、結局は通院を約束しその日のうちに退院させて貰えることになりました。
きっとあの主治医でなければ帰宅を許可してくれなかったのだろうと思います。
先生がお電話セッションで波を調整してくれたことにより本来だったら叶わないようなことが起こりました。
翌日、約束通り通院した私を主治医は心配し待っててくれました。退院した前日とは見違えるように元気になった私を見て「もう大丈夫そうやな、歩き方みたらわかる!もう診察も来なくていいよ。」と言ってくれました。
急回復した私を見て不思議そうに、「気持ち的なことが大きいんかな」と言いながら何かあったらおいでと見送ってくれました。
その日、点滴も検査もせずに済みました。
あれから4年経った今も再発していません。 CTで見てあれだけ腫れ上がっていた盲腸が薬も点滴も使わずにたった数日で痛みがなくなったこと、理論で説明することは不可能な回復でした。
先生はこうやって見えない存在からメッセージを受け取り望まない未来を回避出来るように流れを変えてくれています。
言葉では説明出来ない調整のおかげで私は手術の回避だけでなくスムー ズな離婚も叶えていただいています。
奇跡的な治癒 【盲腸】
昨日の続き、椿先生のおかげで盲腸の緊急手術を回避出来た時のことを書きます 。
私は胃のあたりに感じる痛みを前日から我慢していました。 確かに微熱はあったけど吐き気もなかったし盲腸の辺りに痛みを感じ なかったので診断を聞いても信じられない思いでした。
病院についた時には盲腸は腫れ上がり腹膜炎寸前の状態でした。
明朝緊急手術をしますと言われた時、嫌だ、 怖いと思ったけど朝まであと7時間もない。痛みで朦朧とする意識の中で仕方ないのかなと諦めかけました。
翌朝早く私は母の声で目が覚めました。 母は始発が動き次第駆けつけてくれ、 椿先生が緊急でお電話セッション取ってくださったよ! と私に聞かせてくれました。
その時どれだけホッとして、 どれだけ嬉しかったか言葉では言い表せません。
お電話セッションで先生は私が何も言う前に「 あなた切りたくないんでしょ?」 と仰り、手術回避のために出来ることを教えてくれました。
お電話を終えた後、私は先生に教わったことをやり始めました。するとどんどん不可能と言われていた状況が覆り始めました。
先生はお電話を切った後も、 それどころかきっと電話をする前から、私が回復するようにエネルギーを送ってくださっていたのだと思います。
検査データを見てもここまで悪化したケースで手術回避した例はないから無理だと言われていたことが先生のおかげでどんどんと流れが変わっていきました。
続く…
離婚を決めた日
元夫に椿先生のことを悪く言われることは私にとって自分の悪口を言われるより辛かったです。
元夫と私の関係はどんどん悪化し、一緒に過ごしていると息苦しいとさえ感じました。
家の空気は重く汚れていて、重力が倍になったのではないかと思うくらい身体が重かったのを覚えています。
そこまで感じているのに私は一人になる怖さから離婚に踏み切れずグズグズしていました。
そんな時に私に転機がやってきました。
決してラッキーとか言えない大きなお試しでした。
仲を修復できるように話し合いをしたある日。 私は元夫から心底失望するようなことを言われました。 傷ついた言葉は多数ありますが、 この日言われたことはもうこの関係は続けられないと思った決定打の一つです。
その夜、私はお腹の痛みで寝込みました。 胃のあたり痛かったのですが、 今まで急性胃炎などで何度も倒れている私は、 きっと今日の話し合いがストレスで起きた胃炎だろうと甘く見て病 院に行くのが遅れました。
翌日の夜中、 耐えられない痛みになり救急車で病院に行った時、腹膜炎寸前の盲腸で明朝緊急手術が必要だと告げられました。
この盲腸が元夫が私に向ける見えない攻撃の矢、マイナスエネルギーから起きたものだと鈍い私でも分かりました。そしてこのまま一緒にいたら私の命はないとはっきり認識でき離婚に踏み出すことが出来ました。
痛い思いをしたけど死なずに済んだ、私に一歩を踏み出させるために起こってくれた出来事だと思いました。
痛くて死ぬかと思ったけど、死なずに済みました。そして緊急手術と言われた私ですが実は手術することなく治っています。
この奇跡も椿先生が起こしてくれたことです。
長くなったのでまた書きます。
消えかけた命の火
私には夢がありませんでした。
幼稚園の頃父から性的虐待を受け始めました。その後肉体的暴力、暴言や人格否定などの精神的虐待とエスカレートしていきました。
常に体調が悪く精神的にも辛い日々。毎日を無事に生きることに必死だった私に未来のことなんて考えられませんでした。
そんな私に先生は元夫と一緒に叶えたいと思える夢を提案してくれました。二人の趣味を活かした夢のプラン、想像するとワクワクして実現に向けて努力を始めました。
大きな夢を叶えるまでには越えないといけないステップが沢山ありました。
その努力の辛さから元夫は次第に積極的でなくなり、次第に先生に対して否定的な気持ちを向けるようになりました。
自分がするべき事から逃げたあげく、教えてくださる先生へネガティブな気持ちを向ける元夫。一緒にいるとどんどん私の体調が悪くなっていきました。
結婚式の時はアトピーと気づかれないほど綺麗だった肌が悪化し、目も当てられないようなボロボロの状態になりました。
私自身が越えるべき課題のダメージの影響もあったのですが、かなり元夫のネガティブなエネルギーを受け、医学的には説明できないような不調に陥りました。
食事も摂れなくなり、小学校六年生の平均体重を下回り36キロ(低体重で入院が必要なレベル)になった時期もありました。
当時の写真を見るとやせ細って身体は小さく、全く生命力が感じられません。そんな今にも命の火が消えそうだった私を自分の命を削ってサポートしてくださったのが椿先生(吉田真由美先生)です。
先生のおかげで私は元夫と離れる決断をし、元気な身体を取り戻しました。
道しるべ
先生にお会いした当時新婚ほやほやだった私は実家を出ることによって息苦しかった父の支配から自由になれたと思っていました。
今考えたらなんてお気楽だったんだろうと思うけど、その時は父に盛られた毒の大きさに気づけていませんでした。
先生に悩みはある?と聞かれて特にないですと言った私の深くに眠る大きな問題に、真由美先生は一瞬で気づかれました。
そして私に状態改善のためのアドバイスをくれました。
当時は張本人の私が抱えている問題に気づけていないから先生のアドバイスがピンと来ていなかったけど、後になるほどそういうことか!とその言葉が染みてきました。
先生はいきなり受け入れられないような問題の全貌を言うことなく 、その時受け入れられる量を教えてくれます。
問題解決のため向き合わないといけない課題もちょっと勇気を出して一歩踏み出せばできること。出来もしない無謀なことは仰らない。
そして先生が教えてくださるのはたった一歩なのに何十メートルも何キロも進めるような効果的な方法です。
自分なら歩き回って迷子になってしまうだろうに、 効果的な近道を示してもらえ、 高速で進むための乗り物まで与えてくれる先生。
でもそれに乗るかどうかは自分次第で、 先生はそれを強要されることはありません。
先生は私ならこうするかもとか、 こうしたら近道だと思うよと提案はいただけるけど、 これしなさいって言われたことはないし、 やるかどうかは自分が決めることだからと先生は仰います。
先生に離婚しろと言われたとか仕事辞めろと言われたとか言ってる人いるけど、 先生はその先大変なことになる未来見えてるから回避する術提案くれてるだけで強要なんて一切されてません。
私も離婚をしていますが自ら望んだことです。その辺りの話は長くなるのでまたの機会に書きます。