父を訴える

声をあげるということで具体的にしたことは父から受けた虐待の件で裁判をしたことです。

 

裁判を起こす前、本人にも直接話しました。でも父は私にしたわいせつ行為を認めませんでした。

 

私を丸めた新聞紙で叩いたり、回し蹴りして壁に激突させたことに対して教育だと言い、自分も父から厳しく育てられたからお前たちを厳しく育てたと言い訳をしました。

 

小学校低学年の女の子を蹴飛ばして教育だ言い張っても誰も理解できません。

 

暴言や人格否定、洗脳もすごく、私は大きく歪められて育ちました。父への恐怖から起こる心身の不調は病院でPTSDと診断されました。

 

当時まだ外出が出来ないくらい心身不安定な状態で、陳述書を完成させ実際に訴えを起こすまでには長い時間がかかりました。


辛さから自分を麻痺させ見ないようにしていた虐待の詳細を思い出して陳述書を作る作業の痛みは生易しいものではなくて、何度も挫けそうになりました。


裁判は起訴してから判決が出るまでに2年強の時間がかかりました。実際に書き出し準備する期間を入れたら4年近くはかかっていると思います。

 

本人の私が進まないことに苛立ちを覚える中、椿先生は諦めないように励まし、 辛い気持ちのこなし方を教えてくれながら待ってくれました。

 

その忍耐強さと優しさは人並み外れ、私は今までに先生ほど器の大きな人にお会いしたことはありません。

 

 

椿先生には心理面でのサポートだけでなく裁判での具合的な動きのサポートもしていただきました。

 

当時お願いしていた弁護士さんは男性で私達の気持ちを理解せず、 私達を馬鹿にした態度を取ることがありました。


その事を先生に相談したら、私がその人に直接話しますと言ってご来日中の超過密スケジュールをぬって弁護士事務所に同行してくれました。

 


先生が話してくれたら弁護士の横柄な態度は一変しました。 私達が受けてきた虐待があまりに酷いので内容を話しても妄想でしょと言わんばかりに流され、信じてもらえてなかったのですが、 椿先生が弁護士に会ってくださってからその態度が変わりました。

 

私は弁護士が偉いものという思い込みから言われるがままで、自分が雇っているのに馬鹿にしてくる弁護士に文句も言えませんでした。

 

でも椿先生は弁護士に対して全く動じる事なくはっきり意見を言われ、逆に弁護士が椿先生を前にタジタジ、緊張して背筋が伸び私達の前では見せたことのない態度を見せました。

 

今まで舐められていたんだなと思いました。

そして弁護士を前に特に緊張もされていない先生を見てカッコイイなと思いました。

 

こうして先生からたくさんサポートをいただき自分一人では挑むことが出来ないような壁を越えることが出来ました。